今日は言葉に関することで思い出したことの雑なメモ書きをここに記します。散らかっていますが、ご興味あれば読み進めてくださいな。
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家族のことでどうしようもない問題が起き、疲弊しきっていた時のこと。
ゆきずりで若い男性と性的な行為をすることになりました。
「おばさんでごめんね」
私は歳を重ねること自体に悲観はしていません。
でも、歳が離れた相手に対する感じ方は人それぞれだから、ひとこと断りを入れたくなったの。
その時、相手に言われたのは
「年上のお姉さん好きですよ」
その言葉を聞いた瞬間、思考が止まり、気持ちいいはずの行為が、涙で消されてしまいました。
「年上が好き」と言われただけなのに、私はなぜか「この人に甘えてはいけない」と感じてしまった。
たぶん、そこには「対等ではいけない」という感覚があったのだと思います。
我ながら面倒な女感 orz
言葉の意味は、その人の経験や環境、心身の体調によって、いくらでも歪んでしまうものなんですよね。
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スパホワイトのお仕事をし始めてから、本業でも女性の相談を受ける仕事に転職しました。
そこでも、「言葉の意味」や「会話の方向」が、決して共通ではないことを思い知ることになります。
「頑張ってますね」「いいですね」
相手の行動をリスペクトしたつもりの言葉が、
「私を評価するんじゃないよ!!」
と、叱責として返ってくることもありました。
直接見たわけでもない相手の事情を、良かれと思って察して判断すること自体が、気に障ることもあるのだと知りました。
「これは良い/悪い」「ふさわしい/ふさわしくない」「努力できている/できていない」
他者から強いられたコントロールのように感じられてしまうこともあるのかもしれません。
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話し合いや相互理解が大切だと言われるけれど、そもそもそれが成立しない関係もあります。
パワーバランスの違いによって、言葉を発することよりも、沈黙を選ぶほうが安全になる空間。
みんな最初から関係を壊したいわけじゃないのに、ほんの少しのズレが、少しずつ大きくなっていく。
「私は間違っていない」
「私が悪かったのかな」
その間で揺れながら、自分軸と柔軟性のバランスを取るのは、簡単じゃないですよね。
☆☆☆
人とコミュニケーションをとるのは大好きです。
でも、やっぱり難しいなと思うことも多いかな。
そこに正解はなくて、はっきりしないものに面倒を感じることもある。
それでも、関わることでしか生まれないものもあると思っています。
「理解すること」だけに重きを置くのも、少しリスキー。
理解されないことを否定だと捉えてしまうと、
身体がどんどん縮こまっていくから。
そして、深く理解されることを良しとしない人もいるから。
☆☆☆
相談を受けながら、よく思っていました。
《今、この方にとって言葉は、武器かもしれないし、鎧なのかもしれない》
言葉だけじゃなく、着飾ることや外見を変えることも、同じ。
武器や鎧は、自分を守るためのもの。
だから悪いものではないのだけど、、、
ずっと身につけていたら、やっぱり重たくて疲れてしまいますよね。
目の前の人が、冷たい鉄に覆われていないか。
その重さに気づかず、無理をしていないか。
ふと、そんなことを思うことがあります。
もっともっと、シンプルな感情がどこかに隠れているはず。
そして、そっとお体に触れたくなる。
(「実はスパホワイトという今の貴方に合いそうなお店がありましてね」と営業をかけたくなるのをグッとこらえて)
目の前の問題を解決しようと頑張るのもいいし、
ストレス発散のために楽しいことをするのもいい。
女性用風俗でエロいことをするのも、もちろんいい。
でも、
「ただ触れて、お互いの温もりを感じるだけ」
それは、言葉を使わないコミュニケーションで、どんな方法よりも、心と身体をニュートラルに戻してくれる頓服薬のようなものだと感じています。
考えることの前にその人の本質を取り戻すためのいたってシンプルな触れあい。
ここを読んでくださっている方が、私と同じようにグチャグチャと考えるタイプなら、こういうシンプルな時間も必要かなって。
だから、性的な部分を前面に打ち出さないスパホワイトが、私は好きなんですよね。





