猥談バーに行ったときのこと。
男性陣が女性の褒め方やテクニック談義に花を咲かせていた中で、
「どういうのが好み?」と聞かれました。
私は少し考えて、
「上手さより、ちゃんと向き合おうとする◯◯◯が好き」
と答えたら、空気が止まりました。
場違いという自覚があります。
あの場で言っても、理解が深まるわけでもない。
でも、そういう素直さは、どうしても譲れません(苦笑)
そんなことを言うと、ほぼ必ず返ってくる。
「じゃあ、上手くて向き合ってくれる人が最高でしょ?」
理屈では、たしかにそうなのかもしれない。
上手であること。
器用であること。
気持ちよくさせられること。
それ自体は悪いことじゃない。
せっかくなら、オーガズムを目標にしたい気持ちだってある。
でも、上手さが前に出すぎると、どこか“成果”の匂いがしてしまいます。
うまくやること。
ゴールに導くこと。
満足させること。
そこに評価や達成の構造が入り込んだ瞬間、
目の前の人との間に、ほんの少し距離が生まれる気がするんです。
性に限らず、目に見える評価や結果に一喜一憂することはありませんか。
私自身もよく揺れます。
それが分かりやすい基準で安心材料でもあります。
そういうのを取っ払おうとした道徳や教育の側すら「人を大切にすること」を評価基準の対象にします。
学ぶことも、経験することも、倫理を掲げることも、もちろん必要だと思う。
でも。
正しさを知っていることと、目の前の人と向き合うのは必ずしもイコールじゃなくて。
その二つが一緒に扱われることで、
どこかバランスを崩してしまうこともある気がして。
考えすぎですかね?
※画像はいつの日にか見た青空





