共感と理解の間

先日、人とのやりとりの中で
「悪くはないのに、なぜか違和感が残る」
そんな感覚について話す機会がありました。

その方が《理解して対処する人》と《共感して対応する人》の違いについて考えていらっしゃり、
私もこの機会に考えてみようと思いました。

仕事の同僚でも、家族でも、友人でも。
とても身近な違和感だと思います。

私は人と密接に関わる仕事に携わっており、毎月のように「心」に関わる専門分野の方から研修を受けています。内容がかぶるものがあったとしても、組むチームによって視点が変わるので、毎回勉強になる。
その中で《共感とは何だろう》をテーマに話し合う機会が度々あります。

皆さんにとって「共感」とは何でしょう。
これに答えはなく、その時の自分の心理状態によって定義が変わるところが、面白いところだと感じています。

この画像のような絵を見たことがありますか?
(雑で分かりにくかったらごめんよ)

穴の中にBさんがいます。

穴は何を意味しているでしょう。

穴ができた理由は
仕事のトラブル
人間関係のいざこざ
遭遇してしまった被害
など

大きさはとてつもなく深く広いかもしれないし、案外浅いかもしれない。

暗くてジメジメしているかもしれない。
誰かがそこに入ろうとしたら余計に泥に足を救われて抜け出せないかもしれない。

Bさんは自力で穴から出られません。

「穴の外にいるAさんはどうすればいいでしょう」

よかったら、皆さんも考えてみてください。

梯子を用意しますか?
他の助けを呼びに行きますか?

待って待って。
Bさんは穴から出たいのでしょうか。

私はこの絵を使った研修を2回受けました。

別々の講師で、若干解釈が異なりました。

一人の講師は
「一緒に穴に入ってはいけません。穴に入ってしまうとAさんも、周りが見えなくなってしまう。とにかく、今、Bさんには何が見えているのか聞き続けてください」

もう一人の講師は
「Bさんのいるところまで一緒におりて、Bさんが何を見ているのか感じ取ってください。そうしないとBさんの気持ちに寄り添えません」

二人の講師に共通していたのは、《Bさんが見ているものを一緒に感じ取ろうとする姿勢》でした。

※ここで言う「一緒に穴に入る」とは、相手と同じ苦しみを背負うことや、自分が犠牲になることを意味するものではありません。

一方で、共感しようとしなくてもBさんを助ける方法はいくらでもあるでしょう。

ロープで引き上げてもいい。
説得して脱出させることもできる。
環境を整えることもできる。

それが《理解して対処する》という関わり方なのかなと。

《理解して対処する》ことにも、確かな価値があります。

ただ、もしBさんが過去に受けてきた出来事の影響で穴から抜け出せなくなっているのだとしたら。

痛みを訴えることがその人を守る手段だとしたら。

環境を整えるだけでは、外に出られないこともあるかもしれません。

その場合、Bさんが見ているものを一つ一つ見せてもらうしかない。

なんだか大きな問題を扱っているように聞こえるかもしれませんが、人間関係を深めたいと思うのであれば、「共感」は欠かせない要素のようにも思います。

でもまあ。
共感には得手不得手があります。

土足で踏み込むような関わり方では、うまくいかないこともあります(苦笑)

そして私自身、
共感ができなかった側に立ったこともあれば、
共感されなかった側だったこともあります。

共感はそう簡単なことではありませんね。

《理解して対処する》ことが得意な人も、
《共感して対応する》ことが得意な人も、

結局は、根気よく、誠実でいようとすることが
いちばん大切なようにも思います。

あなたは今、Aさんの立場ですか?
それともBさんの立場ですか?

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