心のベクトル②

●子どもにお菓子を買い与えている人

●後輩が困っていたら積極的に助ける先輩

●階段でお年寄りの荷物を持ち助力する人

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前回『心のベクトル①』という日記において

“行動” を見聞きした時には
“なに” をしたのかよりも
“なんの為” にしたのかを見るようにしています。

と述べました。

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冒頭で例として挙げた3名の人間。
一見すると良い人に見えるんですが
それは “なに” をしているか
の部分だけを見た場合の話だと私は考えます。

“なんの為” にしているかを考えると
良い人なのか悪い人なのか
このワンシーンだけではわからなくなるんですね。

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●子どもにお菓子を買い与えている人
→普段からお母さんがご飯前にお菓子を食べないようにと育てているのに、そんなことなにも考えず、ご飯前なのにただ子どもの欲望を叶えてあげているお父さんかもしれない
お菓子で子どもを油断させている悪い他人かもしれない

●後輩が困っていたら積極的に助ける先輩
→この人が積極的に助けてしまうことで、後輩の成長する機会を奪っているかもしれない
恩を売ることで、自分の要望や誘いを後輩が断れなくしているのかもしれない

●階段でお年寄りの荷物を持ち助力する人
→そのまま荷物を持って逃げる算段かもしれない

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見方や性格がひん曲がってる
なんて思わんでくださいねw
例なのでかなり偏屈な意見もあると思いますが
こんな風に
その行動が “なんの為” なのかを見る。
『心のベクトル』が
本人の方を向いているのか。
相手の方を向いているのか。
自分の為なのか、相手の為なのかを見ることで
より本質が見えてくると思っています。

心よりも、言葉よりも
行動は目に見える分より顕著です。
手段と目的がごっちゃになっていたり
言葉と行動に一貫性がなかったり。
雑さ、飽きっぽさ、細かさ、優しさ。
行動を見ていると
その人の人となりがよくわかる。

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『思考に気をつけなさい。
それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい。
それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい。
それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい。
それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい。
それはいつか運命になるから。』

言わずと知れたマザーテレサの金言。
これの前半部分にあたりますかね。

“心” は『隠せる』
“言葉” は 『取り繕える』
でも “行動” まで見ると
その人の全てが映る

気がする。
(自戒の念を込めて)

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