『20-30』

「タバコを吸いたいんだけど、いいかしら?」
 もちろん構いませんよ、と僕は言ったけれど彼女がタバコを吸う姿は思い浮かばなかった。
「よかったらあなたも。これ、延長分のお金と洗濯代」
 そう言って、彼女はソファーから少し体を起こし、小さな鞄から金縁のPeaceと一万円札を取り出し僕に突き出した。僕は一万円札をポッケに入れて、彼女の隣に腰掛けた。彼女の体温をバスローブ越しに感じる。さっきまでの熱はシャワーで洗い流されていた。僕は二段になっている透明なテーブルの下段から円形のガラスで出来た灰皿を上段へ移した。
「ああこれも」
 Peaceの封を切っている僕に彼女がライターを手渡した。金色の包み紙を捨てると整列したタバコ達が現れた。彼女が一本とると、僕がライターで火をつけた。ライターのボタンがいつもより重く感じた。僕は疲れているのだろう、あるいは特別ばね定数の高いライターだったのか、どちらでも構わない。
 彼女はひと吸い目はふかした。彼女の吐いたタバコの煙は、薄暗い部屋の中でベットの灯りに吸い込まれていった。僕は綺麗だと思った。
「綺麗ですね」
「私が?」
「それはもちろんです」
「いいから、あなたも吸いなさいよ」
「はい。いただきます」
 僕もひと吸い目はふかした。

「ねえ」
「はい」
「私はこれが最後になると思う」
「はい、わかりました」

「私ね、今年で三十になるの。夫は私より少し上なんだけど、親の病院を継いでもう色々落ち着いたらしくって、それで妊活だって」
 僕は頷きながら彼女の話を聞いた。
「私のお腹に赤ちゃんが来たら、私はしばらく休業するんだろうな。二人欲しいって彼は言ってたし。何年くらいになるんだろう。別に嫌ってわけじゃ無いわよ、私も子供は欲しいし彼のことも愛してるし」
 彼女は深く煙を吸うと、少し目を瞑って見上げる様に煙を吐き出した。
「2本目ちょーだい」
 やっぱり可愛い人だなと思いながら、タバコを差し出し火をつけた。2本目も最初はふかした。僕も自分のタバコをとって火をつけた。
「休業しててもすぐに復職は出来るのよ、今の職場では無いけどね。私、薬剤師だから。彼の病院のご近所さんで働くことになると思うわ。まあ、看護師として一緒に働くよりはよかったわよね?」

 しばらく二人でタバコを吸っていた。
「私、しばらくタバコを吸ってなかったのよ。赤ちゃんができたらもう吸わないと思う。だから最後があなたね」
「それは嬉しいです」
「ねえ、タバコって一本吸うとどれ位寿命が縮むか知ってる?」
「さあ」
「14分らしいわよ。発癌性もあるし、有毒物質が七十種類以上入っているの」
「そんなに悪いものなんですね」
「そう。だから、もう一本吸いましょう」
「はい、喜んで」

 部屋はタバコの煙が充満して、鼻から吸う空気が彼女の吐いた煙を何パーセントか帯びている気がした。
「あーあ。あなたが帰ったら、私のタバコのせいでこのホテルが全焼して、一酸化炭素中毒で死ねたりしないかしら?」
「しないですよ」
「そう、残念。三十になんてなりたくないな。でも現実に子供は欲しいしなー、いらないけど」
「きっと可愛いですよ」
「そりゃそうよ、私の子供だからね」

 僕は部屋が部屋を出る時、彼女はこう言った。
「私はホテルも全焼させないし、幸せになるからね。可愛いおばあちゃんになるから、あなたもかっこいいおじいさんになりなさいよ」

 帰りに僕は公園に寄った。ベンチに寝転ぶと冬の夜空を独り占めに出来た。星が綺麗だった。貰った残りのタバコに火をつけ、ふかした。そうして彼女のホテルが全焼して彼女が一酸化炭素中毒で死んでいることを願った。それから、僕は疲れて動かなくなった僕が冬の空の下で、悴んで動かなくなっていく手足の感覚に身を任せて、タバコの先の残り火と一緒に消えてなくなることを願った。
 
 箱が空になって、僕の寿命が程よく無くなったところで、僕は体を起こして死んでしまった僕の幻影をベンチに置いて家路に着いた。これから僕はかっこいいおじいさんにならないといけないのだ。

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