優しさとは、、
改めて考えると、なんだろうと思ってしまう、、
わかっていたようでわからない感覚…
私の経験の中で感じたことしか話せないのだが、、
『自分のモノサシ』で世の中や他人、敷いては家族、社会を計れるならば、自分がこの世で苦労することや分からないことももっと少なかったはず。
分かったつもりがそのまま分からないことの証拠になってしまう。
この一知半解が相手を傷付ける刃や誤解となってしまったこともよくあった、、
自惚れを優しさと履き違えていたからであろう
なので…
分からないものを分からないと潔く受け入れること、、
下らない『自分のモノサシ』を疑い、壊していくこと…
↑この作業って結構怖いです。
相手は、自分にはわからない考えや感覚や感情を持っていると知ること。
そして、自分にはわからないそれらについて分かってあげようとする意識
その心の姿勢が常にあるのであれば、どの様な行動をとっても優しさに繋がっていくのではないでしょうか?
知らぬことを知ろうとる心
私がスパホワイトに来たのも、女性のことを…性のことを…知りたいと思う心があったわけで…
しかし、時事刻々と状況が変わる社会や日常の中で、、、
常に今の自分の心の姿勢はどうなのか…
自分の心の姿勢に嘆くことも数知れない今日この頃…
(嘆きながら昼飯のカレー蕎麦を食べながら携帯に打ち込みながら頭が混乱してきた侘助)
※良い大人が『〜しながら』はみっともないので皆様は辞めましょう!